WEBサービスやアプリ開発を行っている方であれば、一度はやってみたことがあるのが、想定ユーザを「自分」にすることではないでしょうか。
もくじ
マーケティング理論としては間違っていない
この方法を「主観的だ」と批判する人は多いです。また、「自分のために作るなんてわがままだ!人に尽くしてこそがビジネスだ!」のようにモラル面から批判する人もいます。
ですが、自分が求めているものは、自分と似たような人も求めているというのは事実としてあると思います。自分は「唯一無二の存在」なんかじゃないんです。誤解を恐れずに悪い言い方をすれば、人は誰しも「量産機」です。なので、「自分」が求めているものは、自分と同じ型の他の個体も求めている可能性が高いのです。
その証拠に、あなたが欲しい情報をなんでもいいのでGoogleで検索してみてください。サジェスチョンキーワードが表示されて、他の人も同じようなキーワードで検索していることがわかりますよね?
そもそも正攻法の開発でも「特定の誰か」をペルソナとして想定して作るので、それを「自分」にしたところで同じはずです。なので、この方法はマーケティング理論としては間違っていないと思います。
しかも、自分であれば、インタビューする必要もないので、コミュニケーションコストがゼロですみます。
しかし、私自信の経験と見聞きした例で見ると、「自分」を想定ユーザにしたケースはうまくいっていないことが多いです。統計をとったわけではないですが、そう感じている人は私だけではないのではないでしょうか。
では、マーケティング理論としては間違っていないのに、うまくいかないのはなぜでしょうか。
想定ユーザを「自分」にすると上手くいかない理由って?
結論からいうと、
開発というものは辛い行為だから
です。
想定ユーザを「自分」にするということは、「自分が喜ぶために」作るということになります。
しかし、開発という辛い行為は、そのビジョンと矛盾してしまうのです。「自分が喜ぶため」なら「この機能省略してもいいか。」、「ここはいちいち説明しなくてもユーザがわかってくれるだろう。」、「デザインが武骨でもいいか。」というような考えを止めるものがなくなってしまうのです。むしろ辛い行為を少しでも省略することが、「自分が喜ぶため」というビジョンに適合してしまうことになります。
それでできあがった製品は、色々と省略されたりして自分でもよくわからないようなものになっていて、結果自分と似たような人にも刺さらないようなものになっているということです。
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開発は辛くない!という人もいるかもしれませんが
なかにはプログラミングが好きすぎて、何時間やってても大丈夫!っていう人もいるかもしれません。
でも、考えてみてください。サービスやアプリを作るのにどれだけ時間がかかりますか?ちゃんとビジネス化を狙うようなものであれば、超早くても一ヶ月はかかりますよね。
たとえアドレナリンが出て脳が興奮状態にあったとしても、それだけ長くコンピューターに向かって作業をするというのは、人間の寿命を削り取っているようなものなのです。
設計と実装のフェイズを厳密に分ければいいのか?
じゃぁ、開発の段階で出てくる「甘え」を設計(デザイン含む)に影響させないため、設計と実装のフェイズを分けて、辛い思いをしていない段階で機能やデザインを完全に決める。そして、実装時は、あたかも他人に依頼された案件のようにそれをこなす、ということができればいいのかもしれません。
確かに、それができればいいかもしれません。
ただ、このやり方は、ウォーターフォールと呼ばれる開発手法になり、若干古い開発スタイルになります。ユーザーからのフィードバックを迅速に取り込んで、繰り返し改善を行う、「アジャイル」と呼ばれる開発スタイルが、現在のWEB・アプリ業界ではスタンダードです。
ウォーターフォールの何が良くないかというと、実際にユーザーが使ったフィードバックが想定と違っていると、前の工程に戻ってやり直さなければならないので、非常に手戻りの工数が多くなってしまうのです。
なので、単純に設計と実装のフェイズを厳密に分ければ「自分」を想定ユーザにしてもオッケー、というわけではないのです。
じゃぁ「自分」を想定ユーザにしてうまくいく方法は?
「自分」だけを想定ユーザにすると上のような理由でうまくいきません。
ですが、自分と似た人一人以上をさらに想定ユーザに加えれば、上の問題はなくなると考えています。
自分を「量産機」とすると、同じ「機種」の人に想定ユーザになってもらうということです。
その人からのフィードバックが、開発時の甘えを許さないメトリクスとなってくれて、その「機種」の人達にきちんと刺さる製品になる可能性が上がるはずです。