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最高の戦略教科書孫子の要約感想!電子書籍やKindle版はあるの?

守屋淳さんの最高の戦略教科書「孫子」を読みました。勉強になった点を中心に要約と感想をお伝えします。また電子書籍やKindle版の販売状況についてもご説明します。

要約

勉強になった点を中心にまとめます。黄色い囲みは私のコメントです。割と恋愛に絡めたコメントが多めです。

抽象度をあげて考える

現代人は学校でも会社でも「もっと具体的に」と指示されがちだが、古典を活用するには抽象度をあげて考える必要がある。

方向性は歴史書、競争状態での原理原則は孫子

西郷隆盛も次の言葉を残している。

漢学を成せる者は、いよいよ漢籍に就いて道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし。荀も当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以ってすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。

そして、ただ勉強するだけでなく「応用の才気」を持たなくてはならない。

いかに漁夫の利をさらう側にまわれるか

「いかに戦うか」ではなく、「いかに自分が漁父の利をさらう側にまわれるか」が重要。

百戦百勝は善の善なるものに非ず。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。

不敗の態勢を作れるかどうか

勝つべからざるは己にあるも、勝つべきは敵にあり

善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり

短期決戦

兵は拙速を聞くも、いまだ功の久しきをみざるなり

いかに短期決戦で勝てる条件を重層的に構築していくか。戦うなら短期決戦での勝利を期すが、最悪不敗を守れればよい。というのが不敗と短期決戦の原則。

情報格差は力

兵は詭道なり

戦争というのは所詮だましあい。

戦うそぶりを見せない。
こちらを小さく見せる。

というのが大事。

もし戦うという結論に至ったなら、とにかくそれを隠せ。という示唆。

たい
たい
こちらを小さく見せるとあるが、恋愛においておしゃれをして見た目をよく見せたり、自分の力をアピールするのはよくないのかな。

負けない「正」で様子を見る

およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ

まずは負けない正で様子を見る。やがてもみ合っているうちに、的の隙が見えてきたり、不意をつけそうなポイントが見えてきたら「奇」を繰り出して勝つ。

たい
たい
恋愛において不敗を守っていたら、つまらない男になりそう。発言なども、失敗しないようなことばかり言ってたらつまらなくなりそう。

周到な準備

勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む

生死をわける戦争では、周到な準備をするのが当たり前。なぜ戦いを始めてから、勝機をつかもうと慌てるのか。

勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者にあらざるなり。
戦いに勝ちて天下善しと曰うも、善の善なる者にあらざるなり。
故に秋毫を挙ぐるも多力となさず。
日月をみるも明目となさず。
雷霆を聞くも聡耳となさず。
古の所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし

称賛されないような、「それで勝っても当たり前だよね」と言われるような勝ち方が孫子考え方。

主導権を握る

善く戦う者は、人を致して人に致されず

自分の側は、相手のことを意のままにできるが、自分は相手から自由にされない。

利と害

善く敵を動かす者は、これに形すれば、敵必ずこれに従い、これに与うれば、敵必ずこれを取る。
利を以ってこれを動かし、卒を以ってこれを待つ

利と害、つまりアメとムチを二本の操縦桿のようにして、敵を思うがままに操り、へとへとで空腹な状態へと追い込んでいく。

円環する「奇」と「正」

戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝(あ)げて窮むべからず。
奇正の相生ずること、循環の端なきがごとし。
孰(たれ)か よくこれを窮めんや

利と害も相手にバレてしまったらおしまい。なので裏の読み合いになる。

「これが正攻法、これが奇襲」というのが、常に循環し、終わりがない。

だが、相手の頭に「?」が点ずるとき、主導権を握りやすくなる。その状態を「居着く」と呼ぶ。

勝負は相手に疑問を抱かせたほうが勝ち。

たい
たい
恋愛なんかだと、「奇」は相手を不安にさせてしまわないのかなと思った。

迂直の計

およそ兵を用うるの法、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚(あつ)め、和を交えて舎するに、軍争より難きはなし。
軍争の難きは、迂を以って直となし、患を以って利となすにあり。
故にその道を迂にして、これを誘うに利を以ってし、人に後れて発し、人に先んじて至る。
これ迂直の計を知る者なり

A地点を決戦場と考えていても、そのままA地点に向かわずに、BやC地点に行くように見せかける。敵の目をくらませてからA地点に向かえば敵の出遅れが期待できる。

「患を以って利となす」というのは、「奇と正の裏読みという難問を相手を足止めするためのエサに変える」ということ。

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後出しじゃんけんの極意

人を形せしめて我に形なければ、則ち我は専にして敵は分かる

相手が攻撃の型を作ってきたときこそ、最大のチャンス。

かわせるギリギリのタイミングが見極められる目と、それに耐えられる胆力を持つことが重要。

「後の先」はなぜ可能か

後から動いた方が、先手を取るというケースが出てくる。

双葉山いわく、

いったん土俵にあがった以上はあらゆる機会を逸しないという心構えが必要。

「対峙している間中、相手を見続けられる目」や「同じものを見ても、人よりも細やかに情報を汲み取れ、解析できる目」、「相手を利用する力」こそ、「無形」の胆。相手が仕掛けてくるタイミングや、その仕掛けが必然的にはらむ隙を「見切って」、それははじめて武器になる。

たい
たい
冷静に相手を見続けるためには、憎しみや欲望などの感情を抑える必要があるのかなと思った。

「勢い」の活用

鷙鳥(シチョウ)の撃ちて毀折に至るは、節なり

猛禽が獲物を一撃のもとに打ちくだくのは、勢いを凝縮して放つからである、とのこと。

人々の「気」が集まり、ベクトルが揃えられたものが「勢い」。

善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず

あまり一人一人に期待せず、勢いに乗ることを重視する。

軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たる事と謂うなり

たい
たい

勢いというのは、陽や陰などの風水に関わってきそうだと思った。
また、「険に投ずる」というのは「不敗を守る」に矛盾する気がする。

盛衰する「勢い」

朝の気は鋭、昼の気は堕、暮の気は帰

戦上手は、その鋭気を避けてその堕帰を撃つ

敵がダレてきた時に、勢いに乗った自軍と戦わせなければならない。

囲師には必ず闕(か)き、窮寇には迫ることなかれ

敵を危機感を持たないように緩い環境に置いておく。自分の部下は絶対絶命の窮地に追い込んで「勢い」に乗せていく。

兵法や戦略は病気への対処療法

戦いに働く四つの力は

戦いに働く四つの力
  1. 「相手の不意をつく」「裏をかく」といった情報や認識・判断ベースの力
  2. 地の利や疲労、空腹などの環境・肉体ベースの力
  3. 勢いや士気に代表される感情・精神力ベースの力
  4. 兵員や物量の数や強さ、組織化の度合いに代表される物量・管理ベースの力

だが、1〜3はマネやエスカレーションなどの相互作用によって、長期的に見れば差がなくなってしまう。

結局、4の地力や規模がものをいうようになる。

なので、兵法や戦略は病気への対処療法といえる。

とはいえ、規模が大きければ、常に勝てるというわけではない。

兵は多きを益とするにあらざるなり

多くても管理されていなければ、烏合の衆にすぎない、ということ。

将軍の条件

将とは、智、信、仁、勇、厳なり

勝負師にはバランスの良さが不可欠

将に五危あり

一、必死は殺さるべきなり
二、必生は虜にさるべきなり
三、忿速は侮らるべきなり
四、廉潔は辱めらるべきなり
五、愛民は煩わさるべきなり

智、信、仁、勇、厳のどれかに偏りすぎると、問題がある。バランスを取る必要がある。

「戦争論」タイプと「孫子」タイプ

君命に受けざる所あり

孫子の時代、政治家と軍人の区別がはっきりわかれていなかった。なので、将軍も政治的な意図を理解していたので、すべて任せてしまうことが可能だった。なので、全権委任された将軍は、口出してくる君主の命令をはねつけることができる、ということ。

これを、旧日本軍は表面的に利用し、暴走したと考えられる。

逆にクラウセヴィッツの戦争論は、軍を完全に政治の下に位置付けた。

なので、クラウセヴィッツ的な軍事組織観が徹底しているアメリカ軍は、ヴェトナムで撤兵が決まると、抵抗せずに引き揚げた。

ちなみに、アメリカの投資銀行家は戦争論を読む人が多い、とのこと。

情報の価値

明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出づる所以のものは、先知なり

相守ること数年、以って一日の勝ちを争う。
而るに爵禄百金を愛(おし)みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり

たい
たい
P239の「将軍がやたら賞状や賞金を乱発するのは、ゆきづまっている証拠」に矛盾する気がする。

平和なときだからこそ孫子を学ぶべき

「司馬法」という兵法書にいわく、

国大なりと雖も戦いを好めば必ず亡ぶ。天下安しと雖も、戦いを忘るれば必ず危し

第一次大戦後の平和思想の盛り上がりを感じたヒトラーは、「民主主義国家」は軟弱だ、と判断するようになった。

協調や平和への願いが、逆に争いや戦争の呼び水になってしまうことがある。

致命傷回避と勝ちパターン

モルトケ曰く

敵はとり得る三つの方針のなかから四番目を選んでくる

全てを読み切ることはできないが、致命傷になるという事象だけなら読んでおくことができる。そうすれば致命傷だけは回避する手を事前に考えておくこともできる。

なので、致命傷につながる地雷はどこにあるのかを徹底的に考え抜くことが大きなポイント。

そして、勝利につなげるために、勝ちパターンも知り尽くしておく。状況に臨機応変に動きながら、最終的にどこかの勝ちパターンにつなげていく。

「不敗を守っておいて、チャンスとみたら勝ちを目指す」

事前に負けておくことの重要性

庶民がギャンブルをすると、勝とうと思ってしまう。しかし、紳士のギャンブルは、負けるためにする

という言葉がある。

また、プロの棋士の世界にも、「賭け事をするなら、負けて痛いと思う金額を賭けろ」という金言がある。

修羅場をくぐり抜けることで、いざという時に実力が発揮できる胆力を身につけていく。

とはいえ、あまりに負けが込んでしまうと、成長以前に心が折れて、「自信」や「勢い」がなくなってしまう。

チェスのチャンピオンのカスパロフの名言

自信をつけることと誤りを訂正されることの適切なバランスは、各個人がみつけなければならない。経験からいって、”我慢できるうちは負けろ”は優れた原則だ。

重心をつく?

戦争論では、敵の重心をつくことが重視されている。

孫子のように、敵をコントロールして有利な態勢にしたり、敵の弱いところから平らげていく、といった発想はない。

孫子でも、

先ずその愛する所を奪わば、則ち聴かん

のように重心を重視するような部分もあるが、これはあくまで相手をコントロールするための手段という位置付け。

なので、

重心の打倒にひたすら専念しておけ、というのが戦争論
じわじわ弱らせてから料理しろ、というのが孫子

戦争論を批判したリデル・ハートは、

戦争ではレスリングと同様、態勢を崩さずに相手を投げようとすれば、自信の消耗を招き、また手詰まりになりやすい

という。

戦いに勝つためには、

崩し技ー相手の態勢を崩して、こちらを有利にする技
決め技ー最終的に決着をつける技

の二種類の技が必要という指摘。

なぜこのような違いがあるかというと、戦争論は再戦ありの戦いを想定していたから。せこい罠や仕掛けは通用しないという前提。

不特定多数と一対一の関係が結べる時代

観光地のぼったくりのように、2度とこない客を相手にするなら孫子的な戦略で良い。

インターネットが発達した現在、そのような詭道的な戦略が増えると思いきや、Facebookの実名制など、一対一のコミュニケーションが成り立つ状況もある。

自分自身は信用や実力によって商売しつつ、他人から向けられる詭道を撃退する知恵も持ち合わせる。そんな二枚腰が必要。

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「勢い」をズラし、かわし、盛衰させる

勢いに乗っている相手は、気持ちが前のめりになっている分、エサにかかりやすい面がある。

なので、江川卓は以下のように指摘する。

ピンチのときほどボール球を投げられるピッチャーが勝てるピッチャーなのです。

感想

孫子の考え方は全てのゲームに応用できる考え方だと思った。

文字どおり、テレビゲームやスマホのゲームでも使える。

ボードゲームなんかのアナログのゲームにも使える。

恋愛やビジネスもゲームととらえれば、孫子の考え方が使えそう。

経済学にでてくるゲーム理論とも通じる部分がある。

ゲーム理論はミクロ的な考えで、すごく条件を限定した環境ならどのような戦略が最適なのかを数学的に厳密に考える理論だと思う。

条件が限定されているので、あまり多様な状況を想定はしていない。

その点、孫子は過去の経験則からゆるく最適な戦略をみつける考え方。

なので、ゲーム理論に出てきそうな状況はもちろん、それ以外の多様な状況に適用できるのがすごいと思った。

ただ、ゲーム理論と違って、「なんでそれが最適なの?」という疑問には答えていない。

あくまで過去の経験や歴史から抽出した理論。本当にこれが正しいかどうかは、実際に使ってみないとわからない。

孫子については以下も参考になった。

要約も書いた。

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