電通社員自殺労災|ここがへんだよ日本の長時間労働3点

電通の新入社員の方が自殺されて、労災の認定がされたことを報道で知りました。ご冥福をお祈りします。一時期PR会社にいた自分は、近い社風を持っていたり、電通とも取引があったので、他人事と思えない気持ちになりました。

自分は今までPR会社とIT企業の2社経験しています。その両方で私も長時間労働に悩んできました。やっぱり日本の長時間労働はおかしい!そんなおかしいと思う点を書かせてください。

人が死なないと問題視されない

私が業界にいた10年ほど前も、当然長時間労働はあったのですが、やはりまだ変わってなんいんだなと愕然としました。

このような長時間労働は別に珍しいことではありません。でも、1991年の件と今回と、人が死なないと問題視されないなんておかしくないでしょうか。(1991年にも電通新入社員が長時間労働から自殺されました)

自殺には至っていないけど、精神疾患に至って休職や退職に追い詰められた人はかなりの数に登るはず。

軽々しく言ってはいけないのかもしれませんが、彼女の死を無駄にしてはいけないんじゃないかと思います。

時々、就活中の大学生と会話すると、当然ブラック企業は警戒しているのですが、安易に大企業、有名な企業ならホワイトだろう、と思っている人がいます。でも全然そんなことはないんですよね。今回の件もそうですが、有名な会社でも普通におかしな労働環境のところはあるんです。

このような実態はもっともっと報道されて問題視されるべきです。

でも、単に「労働時間を減らせ」だと、サービス残業として見えない労働時間にもぐりこむだけです。各企業はサービス残業の厳格なチェックと罰則強化(労働者ではなく経営者への罰則)、そして、本当の労働時間の開示を義務付けられるべきではないでしょうか。

「ワシも若い頃は残業が多かった」

「ワシも若い頃は残業が多かったからお前らもできるはず」という理屈がはびこっているというのは、元博報堂の中川淳一郎さんの記事からもわかります。

電通新入社員が自殺 広告業界に蔓延するクソ長時間労働の根深い実態を書いておく

広告業界のオッサンは、いかに長時間労働をしたかや、寝なかったかを自慢し、「寝ない=エラい」「残業長い=有能」といった判断をします。

この理屈を聞くといつも思うことがあります。この「オッサン」が若かった時代と、今の若い社員のおかれてる環境って全然違うと思うんです。

1960〜1980年くらいの高度成長期にあたると思いますが、このころ今の大企業でさえもっとベンチャーの気運を残していました。自分の頑張りしだいで、会社が成長するという手応えみたいなものがあったはずです。会社の成長はつまり、自分の給料や自分の退職金に直結するのが、今よりもわかりやすかったのではないでしょうか。うまくいかない会社は潰れていくというリスクも含めて。

「会社の成長が、自分の人生で得られる豊かさを決める」という点は、今でいう株を持っているスタートアップの創業メンバーに近い感覚だと思います。

株持ちのスタートアップの創業メンバーというのは、めちゃくちゃ働きます。事業がうまくいかなかったら、全てが水の泡だし、逆にうまくいけば豊かな未来が待っていますからね。

それに近い感覚が昔の会社員にはあったのではないでしょうか。

ですが、今の若い会社員はそのような環境にいる人はまれでしょう。そもそも多くの大企業は大きな成長はしていないし、業績が良い時期があったとしても、多少ボーナスが多くなるくらいで、人生を豊かにするほどの変化はない。めちゃくちゃ利益があがっても、株主の配当に回される。

見返りが変動する可能性が少ないのに、まるで株持ち経営者のような働き方を要求される、ここが問題だと自分はみています。

経営者は感情を含めて全人格を使って仕事をしています。なので、休む時間は眠る時だけ、というのも普通です。ですが、それは見返りが期待できるからであり、自分で選んだ道だからできるのす。

一般の社員は別にそいうものを期待して入社しているわけではありません。労働者として、労働法に沿った労働時間で働く生活を想定するのが普通であり悪いことではありません。

でも、なぜか日本の労働者は都合よく「株持ち経営者マインド」を求められているのではないでしょうか。

最近の「残業するやつは無能」論もヘン

最近よく「仕事ができる人は残業しない」「残業するやつは無能」という意見を耳にします。確かに、この考え方は長時間労働是正に役立ちそうだし現代的な考え方に見えますが、もうちょっとよく考えた方がいいと思います。

というのは、大抵の日本の会社員って「タスク単位」で仕事を振られているわけではなくて、「役割」をあてられているので、自分の仕事が終わっても、さらに仕事をふられるだけなんですよね。

なので、残業しない人は、「自分の仕事が終わったから帰る」のではなく、「追加でふられる仕事を断って」帰る人ということになります。すると、その断られた仕事はどうなるかというと、「断らない人がやる」ということになります。

つまり、別に仕事ができるから早く帰れているのではなく、「断るのがうまい」から帰れているのです。

そのチームの仕事量は一定なので誰かがやらなければ他の誰かがやらなければならない、という当たり前の話です。(ゼロサムゲーム)

なにが言いたいかというと、残業するしないを労働者の有能無能に結びつける論理は、長時間労働を労働者の責任にしている論理だということです。

残業が多いことの責任は、そのチームの管理者にあります。会社全体の残業の多さは社長の責任です。なのに、この論理は末端の労働者の責任にすりかえているものになります。

さいごに

この問題について、電通が対処すれば終わりなの?という疑問が浮かびます。

電通側としては、「長時間労働やめたら、競合(博報堂とか)に負ける」と思うはずです。

それは当たり前で、産業革命時代から、労働者の搾取具合は、サービスの品質と価格に関わるので、競合とのバランスで決まります。

なので労働組合に力をもたせて、そこを少しずつ労働者に有利なように変えてきました。ただ、労働組合はうまく経営側に懐柔されたりと、形だけになる場合が多いです。

なので、政府がもっと積極的に労働者を守る必要はあると思います。

市場原理は必要だと思っていますが、市場原理には人権を守る仕組みは入っていないので、政府による調整はやはり必要ではないでしょうか。(やってるつもりかもしれないけど弱いと思う)

羊毛や小麦