多くの成功哲学書や成功者の伝記に共通して書かれているのが「与えることの大切さ」です。でもどうやって与える人になれるの?と疑問に思うことはありませんか?私なりの方法をご紹介しますね。
もくじ
与えることの大切さ
与える人になる方法の前に、まずそもそもなぜ与えることが大切かを説明します。
多くの成功哲学書や成功者の伝記を読んだ方なら、「与えることの大切さ」にお気づきではないでしょうか。
- ビル・ゲイツ
- ウォーレン・バフェット
- スティーブ・ジョブズ
- 稲盛和夫
- 松下幸之助
- 盛田昭夫
- 孫正義
などの成功者も例外なく「与える」ことを大切にしてビジネスをしていました。
あなたはなぜ与えることが大切だと思いますか?
与える人は与えられるからです。
と、多くの方が答えるのではないでしょうか。
しかし、これは間違っています。
正確に言うと、「与える人は与えられる」という法則自体は事実です。
でも、これを目的にしてしまうと、与えてもらうために与える、という、見返りを求めた行為になってしまいます。
「与える」というのは「見返りを微塵も意識しない行為」です。
つまり、見返りを意識した瞬間「与える」ではなくなってしまうのです。
私が考える「与える」が大切な理由は、
大きなビジョンを描くため
です。
自分のビジネスを進めていくと気づくと思うのですが、ビジョンや目的というのがとても大切になってきます。
ビジョンや目的の大切さも多くの成功哲学書で語られています。でも、「与える」とは別々に説明されていることが多いので、これらを結びつけて考えている人は少ないのではないでしょうか。
何事も思い描いたビジョンや目的しか実現しません。逆に言えば、思い描けたものはかなりの確率で実現します。
過去のTODOリストなどを見返すと、多くのことが実現できていることに気づくと思います。
ただ、あまりにも途方もないビジョンを適当に考えても、現実感がもてないのではないでしょうか。
現実感が持てないものはやはり実現しません。
なので、多くの人は、身近な目標をビジョンにしがちです。
例えば、「副業のネットビジネスで月に50万円稼いで、会社をやめる。」などです。
現実感がもてるビジョンを打ち出すこと自体は悪いわけではありませんし、どんどんやるべきだと思います。
でも、忘れがちなのは、
実現するのはビジョンよりも小さくなる
ということです。大切なのでもう一度いいます。
実現するのはビジョンよりも小さくなる
ということです。
成功者が昔描いていたビジョンを見るとわかります。
実際に彼らが成し遂げたことは途方も無い成功なのですが、彼らは過去にそれ以上のビジョンを描いています。
例えば、孫正義さんは「デジタル情報革命を日本から起こす」というビジョンを一時期掲げていました。
でも、ソフトバンク自体は大成功していますが、まだ世界的に革命を起こすまでに至っていないのではないでしょうか。
(もちろん今後実現する可能性はあります)
もう少し一般の人に近い例でも同じです。
月収100万円程度のビジョンを描いていた人は、月収60万になり、月収20万円を目指していた人は月収10万円になる、というような方が多いです。(お金だけをビジョンにするのはちょっと偏ってますが、わかりやすいようにこうしました)
なので、成功したいなら、それよりもなるべく大きなビジョンを描く必要があるのです。
大きなビジョンを描くためには、自分の身近な欲望を超えて、社会や世の中についても考える必要があります。
どうしたら、世の中がよくなるか、困っている人が助かるか、などを考えてビジョンを描いていく必要があるのです。
ただ、ここで大事なのが「与える」メンタリティです。
「与える」メンタリティがないと、世の中をよくするビジョンに現実感は持てないし、そもそも描くこともできません。
逆に「与える」メンタリティが強ければ、自然に大きなビジョンが描けるようになります。
ただ、「成功したい」⇒「大きなビジョンを描かなきゃ」⇒「与えるメンタリティをもつ。」という順序だと、見返りを求めているのと同じです。
なので、一度成功については忘れて、与えるメンタリティを育てていくしかないと考えています。
与える人になるための教育の現状
与えるということは、とても大切なことなのに、実はあまり学校で教えられてきた人は少ないのではないでしょうか。
もちろん、道徳の時間などで「困っている人を助けよう。」「人に優しくしよう。」などと言われてきたりはします。
でも、私なんかは、どうも押し付けがましくてそのような教えを信じることができませんでした。
そういうのを律儀に信じている子を、いい子ぶりっ子しやがって、みたいにナナメに捉えてしまっていました。
このあたりは学校よりも、親からの教育の影響が大きいと思います。
そういうことがわかっている良い親に恵まれた子は、生活のなかで与えるメンタリティが自然と身につくのではないでしょうか。
なので、結局学校の教育よりも親の教育のほうが、成功に与える影響は大きいと考えています。
今から与える人になる方法
とはいえ、そんな素晴らしい親に恵まれなかった人でも、今から与える人になる方法はあります。
くれくれ君をやめる
与える人の反対は何だと思いますか?
いつも、何かを与えてもらおうとしている「くれくれ君」です。
これをやめることで与える人になれると考えています。
なりたいものの逆のものをやめるというアプローチです。
「今自分はくれくれ君になっていないか?」
と常に自分に問いかける習慣をつけます。
下の記事に書きましたが、自分のサイトへのアクセス数や報酬を気にしすぎている時は、「今くれくれ君になっているな。」と判断するようにしています。
SNS、ゴシップニュース、ゲーム、Youtube、ポルノを見過ぎている時もそうです。
最近ビジネスマンにも密かに人気のある、能楽の大成者・世阿弥の「風姿花伝」の序文にこうあります。
一、好色・博打・大酒、三重戒、これ古人の掟なり
直訳すれば、
女好き、ギャンブル、大酒飲み、この三つは大罪である。これは古くからの決まりごとだ。
ということです。
多くの古典や宗教において、「欲望や煩悩にとらわれない」ことの大切さが語られているのは、くれくれ君をやめて与える人になるためだ、と私は考えるようになりました。
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普段から与えることに慣れていく
少しずつでいいので、見返りを意識することなく与えることをしていきましょう。
コンビニにある募金箱にお釣りを入れることでもいいし、電車で席を譲るなんていう、小さなことでもいいと思います。
大事なのは「見返りを意識しない。」ことです。
最初はいいことをするとどうしても周囲の人にアピールしたくなってしまいます。
でもそれをこらえて、「あえて誰にも知られないように与える。」くらいに意識してやるのがおすすめです。
「普段から」というのが非常に大事です。
都合のいい時に「与える」メンタリティに切り替える、というのは、それ自体が見返りを意識した行為になってしまいます。
なので、「与える」というのは心の状態のことであり、実際の行為はそれの表れ、と考えておく方がいいと思います。
そのような心の状態を作ることが大切なのです。
1日の自分の行動を振り返る
今日は見返りを意識せずに人のために行動できたか?
くれくれ君になってしまったことはなかったか?
などを確認します。
そんなのわからない、と思うかもしれませんが、
慣れていくと、くれくれ君になっていた場合、どこか心にひっかかりができて気づけるようになります。
仕事を通して与える人になる
京セラの創業者、稲盛和夫さんの著書「生き方」で「日々の労働によって心は磨かれる」と述べています。人格を磨くためには労働が必要だということです。(私は「労働」という言葉は暗いイメージがあって嫌いなので、「仕事」と理解しました。)
私は以前、与える人になるには宗教心が必要だと考え、寺や教会に通ったことがあります。
それも有効かもしれませんが、稲盛さんの本を読み、宗教よりも仕事で誰かの役にたつ経験をする方が効果的だと考えるようになりました。
仕事において、見返りを意識せずにだれかのために働く。
このような仕事はとても尊い営みだと意識すると、与えることが身についてくると考えています。
ただ、ブラック企業で長時間労働をするのも与える行為だと勘違いしがちなのですが、それはちょっと違うのでご注意ください。それについては次の記事に書きました。
さいごに
以上が私が考える、与える人になる方法です。
今までなんとなく宗教的でおしつけがましく言われていた「与える」ということについて、新たな視点をご紹介できていたら幸いです。